天使の息子がひとりいます。

天使の息子がひとりいます。

2016年3月、最愛の息子は1歳9ヶ月で突然この世を去りました。それまでと、それから。いろんな思いを綴ります。

まだ半年、やっと半年

息子が突然この世を去ってから、半年が経ちました。

長い長い半年で、まだ半年しか経ってないのかという気持ちと、

息子をあの時に置き去りにしたまま半年も経ってしまったという気持ち。

どちらも心の底からの本心です。

 

最近は突然涙が止まらなくなることも減ってきました。

息子の不在を受け入れてきているんでしょう。

あの子はもういない。

それがわたしたち夫婦の日常・・・

 

この間大泣きしたのは、喪中はがきのデザインを選び、文面を考えていたとき。

その前は、お腹の子のために息子と色違いの母子手帳ケースを買ったとき。

涙ぐむくらいなら、通勤電車の中でも日常茶飯事ですけどね。

ずいぶんと心が乱される大嵐が凪いできた気がします。

 

時薬とよく言いますが、

時間によって悲しみや苦しみが癒されるのではなくて、

川が流れて小舟をゆっくり下流へ運ぶように、

ヒリヒリ痛いその場所から少しずつ、遠ざかっていくのかな、

そんなふうに感じました。

 

でも、半年。

成長がゆっくりで、何かしらの障害も疑っていた息子も、

半年経てばすごく成長したでしょう。

もう歩けたかもしれない。

「あぱ」じゃなくて、「アンパンマン」って言えたかもしれない。

わたしのこと、おかあさんって言えなくても、

「かしゃ」って呼んでくれたかもって。

そう思うと会いたくて会いたくてたまらない。

すぐそこにいる気がする。

でも見えない、さわれない。

 

結局、ブログを書きながら涙が止まらないっていう・・・

わたしは一人じゃないとうまく泣けないし、

感情を思うままに綴ることもできないので、

このブログも大体、夫がいないときやお風呂に入っているときなんかに書いています。

まあ鼻はグズグズしてるし目も潤んでるから、

なんとなくわかってると思いますけどね。

 

明後日は夫のお母さんがお線香をあげにきてくれるそうです。

その気持ちが嬉しくて切ない。

わたしも夫も、息子コーナーのおりんを鳴らしたり、

お線香をあげたりすることはほとんどありません。

手を合わせることもありません。

だって、ぽんちゃんにお線香?手を合わせる?

その感じがよくわからなくて。

思えば祖父や祖母のお墓参りに行っても、

普通に話しかけるだけであまり手は合わせなかったです。

「死んだら仏様、ご先祖様」という感覚がどうしてもわからないから、

ぽんちゃんはずっとぽんちゃんで、

その辺をふわふわ飛んでいて、

海外の友達の側にもわたしたちの両親のところにも、

どこにでも誰の近くにでもいる。

そんなふうに考えています。

 

思いの馳せ方は人それぞれだから、わたしたちのやり方でこれからもいくと思います。

ただ、可愛いお兄ちゃんがいたことを、

いまお腹の中でモコモコ動いているこの子にも、

たくさん伝えようと思います。

 

今日はこれから夫とお出かけ。

誕生日が平日だったので、数日遅れのお祝いランチです。

気休めですが交通機関や人の多いところではマスクをして、

メガネを曇らせながら楽しんできます^^;

ぽんちゃんも一緒にね。