天使の息子がひとりいます。

天使の息子がひとりいます。

2016年3月、最愛の息子は1歳9ヶ月で突然この世を去りました。それまでと、それから。いろんな思いを綴ります。

三回忌までもうすこし

すっかり春の雰囲気なのに、朝晩はとても肌寒いですね。

あの頃を思い出します。

混乱と悲しみで記憶すら曖昧ですが、こうして季節が巡ってくると身体が覚えているようです。

 

もうすぐ二年。

二年という年月が、

長かったのか?短かったのか?

…わからない。

わたしは幸いにも元気に生きて、笑っている。

次男が来てくれたからこんなに元気なのだと思う。

じゃあ次男を授かれなかったら笑っていなかったか?

…わからない。

でもたぶん、少しは笑えていると思う。

そのくらい、二年という年月は大きい。

身体をえぐり取るような大きな傷にも、新しい皮膚とかさぶたができるくらいに。

かさぶたの上によそいき笑顔の服を着て、傷を知られることなく過ごせるくらいになった。

 

同じマンションに、失くした長男と同じくらいの女の子がいます。

彼女は発達も順調で、長男が生きているときはもう歩いてるお話ししてる、いいなぁ。

そんなふうに見ていました。

彼女にはお兄ちゃんが二人いて、にぎやかで、ただ可愛くうらやましく、微笑ましい。

それは長男を失くしてからも変わらなくて、気持ちが変わらないことに自分でもホッとしていました。

でもわたしが次男を出産して少しした頃、彼女を連れるお母さんのバッグにはマタニティマークが揺れていました。

ああまた生まれるんだ、彼女はお姉ちゃんになるんだ、と思ったらなぜかそこから見ているのがつらくなって、たまに見かけても挨拶せずに済むように遠回りするようになりました。

今もそうです。

彼女はお姉ちゃんになり、お母さんの抱っこひもの中には赤ちゃんがいます。お兄ちゃんたちはますます大きくなっています。

わたしだって二人産んで育てていたのに、あの子はお兄ちゃんになれなかったのに…

そういう、ただの嫉妬なんだろうと思います。

すれ違ったら挨拶する程度の間柄だから、少しつらいくらいで済んだ。

そう考えて、自分の心を守るために、これからも遠回りさせてもらいます。

もし避けられていると感じていたら申し訳ないけど、特に冷たくしているわけではないし許してもらえるでしょう。

あのお母さんはわたしの長男をずいぶん見ないな?くらいにしか思っていないだろうか。それともなにか気付いているだろうか。

 

震災のニュースが流れるこの日、我が子を亡くしたたくさんの親御さんの気持ちが少しでも楽になりますように。

お空で子どもたちが楽しく遊べていますように。